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『大嫌いな生徒会長が義兄になりました ~学校では天敵、匿名では親友、家では恋愛禁止です~』
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Author: 常陸之介寛浩

第1話 最悪の兄候補

last update publish date: 2026-09-15 20:16:16

第1話 最悪の兄候補

 私が全校生徒の前で生徒会長に喧嘩を売ったのは、目立ちたかったからでも、彼の涼しげな顔が以前から気に入らなかったからでもない。後者については完全には否定できないけれど、少なくとも、あの日の私は自分なりに大切な場所を守ろうとしていた。

 五月半ばの月曜日、朝から降り続いていた雨のせいで、全校集会が行われる体育館には湿った制服と床用ワックスの匂いがこもっていた。千人近い生徒が学年ごとに並ぶ中、壇上に立った御影怜央は、そんな不快な空気など自分の周囲にだけは存在しないような顔をしていた。

 青星学園の生徒会長である御影先輩は、成績は入学以来ずっと学年首位、運動部の助っ人を頼まれれば何でも人並み以上にこなし、教師からの信頼も厚い。おまけに、少し長めの黒髪も、灰色がかった目も、制服の着こなしも、本人が腹立たしいほど整っていた。

 ただし、性格まで完璧かと聞かれれば、私は全力で首を横に振る。彼は人間を校則集の付録だと思っている節があり、予定外の出来事と曖昧な言い訳を何より嫌っていた。

「生徒会から、皆さんにお知らせがあります。校内で利用されている匿名相談サイト『放課後レター』について、昨夜、相談内容の一部が外部の交流サイトへ転載されていることを確認しました。相談者を特定できる可能性がある情報も含まれていたため、管理体制の安全が確認されるまで、同サイトの運営を停止します」

 マイクを通した御影先輩の声は聞き取りやすく、落ち着いていた。その説明だけを聞けば、彼が正しく、運営していた人間が無責任だったように思えるだろう。

 実際、私の前に並んでいた一年生たちは、「やっぱり危なかったんだ」「匿名なんて信用できないよね」と小声で話していた。

 私は唇を噛み、制服のポケットに入れていた携帯電話を握った。「放課後レター」を作ったのは私だと、教師以外には明かしていない。ひとりで始めた活動だったけれど、今では毎週二十件以上の相談が届く。その中には、友人と喧嘩した、好きな人に振られたという話だけでなく、教室へ入るのが怖い、家に帰りたくないという切実な悩みもあった。

 転載された内容は投稿者自身が別の交流サイトへ書き込んだもので、「放課後レター」の管理画面から流出したわけではない。事情を調べもしないまま停止させられれば、今日も返事を待っている誰かへ、私の言葉は届かなくなる。

「なお、この決定への質問は、集会終了後に生徒会室で受け付けます。ここでは個別の事情には答えられませんので、皆さんは憶測に基づく情報を広めないよう――」

「質問があります」

 気づいたときには、私は手を挙げていた。隣に並んでいた親友の中原美緒が、「ひまり、今じゃない。お願いだから一度だけ空気を読んで」と、口をほとんど動かさずに訴えてきたけれど、空気を読んで黙るくらいなら、最初から匿名相談など始めていない。

 体育館の視線が一斉に集まる中、御影先輩はわずかに眉を寄せたものの、私が誰なのか分からないふりはしなかった。

「朝倉さん、質問は集会終了後に受け付けると言ったはずです」

「そう言われましたが、運営を停止すると全校生徒の前で発表した以上、停止の理由に誤りがあるなら、この場で訂正するべきです。転載したのは相談者本人で、管理画面から個人情報が漏れたわけではありません。それなのに、まるで運営側が相談者の情報を流出させたような説明をするのは納得できません」

 学年主任が困った顔でこちらへ近づきかけたが、御影先輩は壇上から片手を上げて、それを制した。腹は立つけれど、彼が私の意見を最初から封じる人間ではないことくらいは知っている。

「説明が不十分だった点は認めます。ただし、相談者が自分で転載したから問題がない、という理屈には同意できません。投稿には所属する部活動、相談した日時、相手の学年を推測できる情報が残されていました。君は昨夜のうちに該当部分を削除したようですが、その前に画像として保存されています」

「それは相談者へ確認して、本人の許可を得たうえで削除しました。転載先にも削除申請を出しています。だからといって、サイトそのものを止めてしまったら、今まさに助けを求めている人はどうなるんですか」

「助けを求めている人がいるからこそ、善意だけで運営を続けるべきではないと言っているんです。君ひとりでは、二十四時間すべての投稿を監視できない。深刻な相談が届いた場合、それをどの段階で教師や専門家へつなぐのかという基準も曖昧です。今まで事故が起きなかったことと、これからも安全であることは同じではありません」

 言い方は冷静だったが、突き放しているわけではなかった。彼が昨夜の出来事だけでなく、それ以前の運営状況まで調べていることが分かってしまい、私は用意していた反論の半分を飲み込んだ。

 それでも、ここで引き下がることはできなかった。

「では、安全な基準を一緒に作ればいいじゃないですか。危険があるから全部閉じるというなら、学校の相談室だって、保健室だって、誰かの秘密を預かる場所は全部危険です。御影先輩は規則を整えてから助ければいいと思っているのかもしれませんが、泣いている人は、規則が完成するまで都合よく待ってくれません」

 体育館が静まり返った。壇上の御影先輩は私から目を逸らさず、しばらく考えたあと、マイクの位置を少し直した。

「俺は、相談活動そのものを廃止するとは言っていません。必要な仕組みを整えるまで、一時的に停止すると説明しました」

「一時的という言葉ほど信用できないものはありません。大人が『一時的に預かっておく』と言ったゲーム機は、だいたい二度と返ってこないんです」

 今度は体育館のあちこちで笑いが起きた。御影先輩の後ろに立っていた副生徒会長は、笑いをこらえるために顔を伏せている。御影先輩だけは笑わなかったけれど、目元がほんの少し険しくなった。

「学校の管理責任と、朝倉家のゲーム機を同列に扱わないでください。そもそも、君が期限と改善条件を確認せず、勝手に永久閉鎖だと思い込んでいるだけです」

「そういう、人の気持ちより正論を先に出すところが嫌なんです。御影先輩みたいな人がお兄ちゃんだったら、私は三日で家出します」

 口にしてから、今の発言が議論と何の関係もないことに気づいた。しかし、言葉というものは、消しゴムのように都合よく引き返してきてはくれない。

 一瞬の沈黙のあと、体育館はこの日一番の笑いに包まれた。誰かが携帯電話をこちらへ向けているのが見え、美緒は額に手を当てながら、「どうして最後まで格好よく終われないの」と情けない声を漏らした。

 御影先輩は咳払いをして騒ぎが収まるのを待つと、呆れたように私を見下ろした。

「安心してください。俺も、君のような妹を持たなければならないほど、前世で重い罪を犯した覚えはありません」

 再び笑いが起こり、今度は教師まで顔を背けて肩を震わせていた。私は言い返そうとしたものの、学年主任に腕をつかまれ、「朝倉、主張は分かったから、残りは生徒会室でやりなさい」と引きずるように列へ戻された。

 全校集会が終わる頃には、私と御影先輩のやり取りを撮影した動画が、すでに校内の交流グループへ投稿されていた。

「題名が『青星学園、史上最悪の兄妹喧嘩』になってる。よかったね、ひまり。望んでもいないお兄ちゃんができたよ」

 教室へ戻る廊下で、美緒が携帯電話の画面を見せてきた。動画の再生回数は、投稿から十五分しか経っていないのに千回を超えている。静止画にされた私の顔は、これから決闘に向かう武士のように険しく、対する御影先輩は、どういうわけか恋愛映画の宣伝に使えそうなほど整っていた。

「同じ映像から切り取ったのに、この扱いの差は何なの。世の中は顔がいい人に甘すぎると思う」

「そこじゃないでしょう。全校生徒の前で生徒会長に喧嘩を売ったうえ、お兄ちゃんだったら家出すると宣言したのよ。先生に呼び出されても、私は一緒に謝らないからね」

「喧嘩を売ったつもりはないし、言っていることは間違っていないもの。御影先輩だって、最後には運営方法を一緒に考えると言ったでしょう」

「言ったけれど、あの人、ひまりを生徒会の管理下に置かないと、今度こそ本当に大事故を起こすと思っただけじゃない?」

 美緒の指摘が妙に現実的だったので、私は聞こえなかったふりをした。

 教室へ戻って席に着くと、携帯電話に「放課後レター」への新着通知が届いていた。表向きの受付は停止したが、以前からやり取りしている相談者とは個別の連絡欄が残っている。

 送り主の表示名は「午前零時」。一年ほど前から、誰にも話せないことを互いに書き送ってきた相手だった。年齢も性別も知らないけれど、この人の文章だけは、私が意地を張っているときも、無理に励まさずに待ってくれる。

『今夜、家族に関する大切な話を聞くことになりました。喜ぶべき話らしいのですが、素直に喜べる自信がありません。大切な人の幸せを願う気持ちと、自分だけが取り残されるような不安は、同時に抱いてもよいのでしょうか』

 朝の騒動でささくれ立っていた気持ちが、その文章を読んだ途端、少しだけ静かになった。私は返信欄を開き、考えながら指を動かした。

『喜びと不安は、どちらか一つを選ばなければならない感情ではないと思います。大切な人に幸せになってほしくても、自分の居場所が変わることは怖いものです。すぐに笑えなくても、あなたが冷たい人間だからではありません。今夜、上手に喜ぶことより、正直に話を聞いてみてください』

 送信したあと、私は自分にも同じような通知が届いていたことを思い出した。母からのメッセージには、「今夜、大切な話があります。六時半までに帰ってきてください」と書かれている。

 誰かに偉そうな助言をしておきながら、自分の胸にも同じ種類の不安が生まれていることには、そのときの私はまだ気づいていなかった。

 放課後、生徒会室で御影先輩ともう一度話し合う予定だったが、母の連絡を理由に日を改めてもらった。御影先輩は嫌みを言うこともなく、「家族の用事なら、そちらを優先してください」と答えた。

 その声が、匿名の相手から届いた文章と同じように聞こえたのは、おそらく偶然だったのだろう。

 私が母と二人で暮らす集合住宅へ帰ると、玄関には見覚えのない上等な革靴が置かれていた。台所から漂ってくるのは、普段なら誕生日にしか作らないローストビーフの匂いで、居間のテーブルには四人分の食器が並んでいる。

 焼き菓子店を営む母は、仕事から戻ったばかりらしく、髪にはまだ小麦粉が少し残っていた。それなのに淡い水色のワンピースへ着替え、何度も卓上の皿を並べ直している。

「ただいま。ずいぶん豪華だけれど、私、誕生日を半年くらい間違えて覚えていた?」

「おかえり、ひまり。先に着替えてきてくれる? それから、できれば髪も整えてきたほうがいいかもしれないわね」

「家で夕食を食べるのに髪を整える必要があるなら、相手は税務署の人か、借金の取り立てか、それとも私をどこかへ売ろうとしている人でしょう。どれなの?」

「どうして候補が全部怖いのよ。今日は、ひまりに紹介したい人が来ているの」

 母がそう言った途端、居間にいた男性が立ち上がった。

 四十代半ばほどの背の高い人で、濃紺のジャケットを着ている。仕事のできそうな落ち着いた雰囲気だったが、私と目が合うと、取引先へ挨拶するように背筋を伸ばしすぎて、かえって緊張していることが伝わってきた。

「初めまして、御影和臣と申します。突然押しかけた形になってしまって申し訳ない。美月さんから、ひまりさんは率直な人だと聞いていますから、今日は遠慮せず、気になることは何でも聞いてください」

 名字を聞いた瞬間、学校で見慣れた誰かの顔が頭をよぎったものの、御影という名字が世界に一軒しかないわけではない。まさか、あの御影先輩と関係があるはずもないと、私はすぐに考え直した。

 母は私を隣へ座らせると、膝の上で両手を組んだ。いつもなら失敗した焼き菓子を笑って試食させる人が、今日は私の反応を恐れるように唇を湿らせている。

「ひまり、お母さんね、和臣さんと結婚しようと思っているの」

 驚かなかったと言えば嘘になる。それでも、頭ごなしに反対したいとは思わなかった。父が私たちを置いて出ていってから、母は十年以上、自分のことを後回しにしてきた。誰かと出かけることがあっても、私には仕事の付き合いだと言い、帰宅が遅くなれば必ず謝った。

 そんな母が、自分の幸せについて話している。私は喜びたいと思ったし、同時に、なぜ今日まで教えてくれなかったのだろうという寂しさもあった。

「結婚すること自体に、反対するつもりはないよ。ただ、今日初めて会った人を、すぐにお父さんと呼ぶのは無理だから。そのくらいは待ってほしい」

 和臣さんは安心したように息を吐いたあと、深くうなずいた。

「もちろんです。私も、結婚したからといって、すぐに父親らしい顔をするつもりはありません。美月さんと結婚すれば、ひまりさんの生活にも大きな変化を与えてしまう。そのことを軽く考えず、少しずつ信頼してもらえればと思っています」

 用意してきた言葉なのかもしれないが、私の目を見ながら丁寧に話す様子には誠意があった。少なくとも、突然肩を抱いて「今日からパパと呼んでくれ」などと言い出す人ではないらしい。

「分かりました。私も、いきなり家族らしくしろと言われなければ大丈夫です。それで、四人分の食器があるということは、もう一人いるんですよね?」

 母と和臣さんが顔を見合わせた。二人とも、ここからが本題だと考えている顔だった。

「和臣さんには、息子さんがいるの。ひまりより一つ年上で、同じ青星学園に通っているわ。今日は生徒会の用事が長引いたらしくて、少し遅れて来るそうよ」

 同じ学校で、一つ年上という条件を聞いて、再び御影先輩の顔が浮かんだ。私は嫌な想像を打ち消すため、首を振った。

「まさか、名前まで怜央だったりしないよね?」

「あら、知っているの? 学校では有名なのかしら」

 母がうれしそうに笑った直後、玄関の呼び鈴が鳴った。

 私はしばらく動けなかったが、母に促され、重い足を引きずるように玄関へ向かった。扉を開けると、雨の中を急いできたらしい御影怜央が、制服姿で立っていた。

 彼も私を見るなり、普段の冷静さを失った。濡れた前髪の下で灰色がかった目が大きく見開かれ、玄関の表札と私の顔を確かめるように、何度も視線が往復する。

「どうして、朝倉さんがここにいるんですか」

「それは私の台詞です。御影先輩こそ、どうして人の家の玄関に立っているんですか」

「父から、大切な人とその娘さんを紹介すると言われて来ました。まさか、その娘というのが――」

 言い終わる前に、母が私の後ろから顔を出した。

「怜央くんね。初めまして、美月です。学校ではもう、ひまりと知り合っていたのね。それなら安心したわ。二人とも同じ学校なのに、家でまで堅苦しく先輩と呼ぶ必要はないでしょう? これから怜央くんは、ひまりのお兄ちゃんになるんだから」

 朝の体育館で、自分が何を言ったのかを思い出した。御影先輩も同じ言葉を思い出したらしく、濡れた傘を握ったまま、何とも言えない顔で私を見ている。

「御影先輩みたいな人がお兄ちゃんだったら、私は三日で家出します」

「俺も、君のような妹を持たなければならないほど、前世で重い罪を犯した覚えはありません」

 ほんの数時間前、全校生徒を笑わせた会話が、今度は一つ屋根の下で暮らすことになる二人の予言へ変わっていた。

 御影先輩は長い沈黙のあと、濡れた髪をかき上げながら、朝と同じように冷静な声を作ろうとした。しかし、その口元はわずかに引きつっていた。

「どうやら前世の罪が、今日になって判明したようですね」

 その瞬間、私は会ったことさえない前世の自分を、生まれて初めて本気で恨んだ。

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